さよなら「約束の日」 国内最大のカントリー音楽の祭典、閉幕へ アスペクタが舞台 30年の歴史振り返り

さよなら「約束の日」 国内最大のカントリー音楽の祭典、閉幕へ アスペクタが舞台 30年の歴史振り返り

雄大な阿蘇五岳を望むロケーションに、多い年で2万人以上が集う国内最大のカントリー音楽の祭典が、30年の歴史に幕を下ろします。

2018年10月21日に開催された前回のカントリーゴールド。「約束の日」のキャッチフレーズで知られる国内最大のカントリー音楽の祭典だ=南阿蘇村のアスペクタ

チャーリー永谷さんの「カントリーゴールド」、10月20日がフィナーレ

熊本市のカントリー歌手チャーリー永谷さん(83)が毎年10月に熊本県南阿蘇村の県野外劇場アスペクタで開いてきた音楽イベント「カントリーゴールド」は、2019年10月20日がラストステージになります。

カントリーゴールドは、1989年、音楽を通じた日米交流などを目的にチャーリーさんらの呼び掛けで始まりました。翌年から開催日を10月の第3日曜日に定めました。4回目から掲げた「約束の日」のキャッチフレーズともに、県民や国内外のカントリーファンに親しまれる名物イベントに成長。毎回、チャーリー永谷&キャノンボールなど国内のアーティストやカントリー音楽の本場・米国の歌手らが出演。数々の危機を乗り越え、一度の中止もなく続いてきました。

カントリーゴールドのステージに立つチャーリー永谷さん=2008年11月19日

チャーリーさんは、カントリーゴールドが30回目を迎えた2018年、「地方から文化を発信するという当初の目的を達成できた」と終了を考えましたが、継続を求めるファンの声が多く、今年を「アンコール公演」と位置付けて最後の開催と決めました。

「カントリーゴールドが終了しても、カントリー音楽を通しての日米の文化交流は今後もずっと続けたい」と語るチャーリー永谷さん=2019年2月撮影、熊本市中央区

熊本日日新聞はこれまで、毎回のカントリーゴールドの盛況ぶりのほか、長く草の根の日米交流を続けるチャーリーさんの取り組みを数多く報じてきました。これまでの記事や未掲載分を含む写真で、「約束の日」の歩みを振り返ります。

※情報は2019年10月18日時点、紙面の情報は掲載時点です。

「日米の市民が心通わせるイベントに」

最初のカントリーゴールドが開催されたのは、平成がスタートしたバブル経済さなかの1989年。祭典誕生の背景にあったのは、当時激しさを増していた日米貿易摩擦でした。日本車をたたき壊す米国民の姿が連日報道され、米国発祥のカントリー音楽一筋に歩むチャーリーさんと、音楽関係の企画運営会社を自営する髙辻満男さん(73)=熊本市=は心を痛めていました。そして2人にある決意が芽生えました。「米国人の誇りが詰まったカントリーを楽しみ、日米両国の市民が心を通わせる。そんなフェスティバルを開こう」

長年、チャーリー永谷さんとカントリーゴールドの運営に携わってきた髙辻満男さん=2019年10月7日、熊本市北区

会場に考えたのは、久木野村(現・南阿蘇村)の大規模年金保養基地「グリーンピア南阿蘇」内に1987年開業したばかりの県野外劇場アスペクタでした。

チャーリーさんは、2004年1~2月に熊日朝刊で連載した「わたしを語る」シリーズで、当時をこう振り返っています。

(カントリーゴールドの)場所は世界の阿蘇でなければならない。アスペクタを見て、「やってみよう。やりたい」という思いがわいてきたわけですから、ここ以外で開くことは考えられませんでした。どこにもない雄大な風景にふさわしいイベントにしようと思ったのです

2004年1月22日付熊本日日新聞朝刊「わたしを語る」より

アスペクタは当時、イベントが軒並み雨にたたられ、利用が低迷していたこともあり、熊本県はこの企画を歓迎、全面的な応援に乗り出します。

そして迎えた初のカントリーゴールドは、現在の10月ではなく、9月23日。アスペクタには全国から2万人が訪れました。

雄大な阿蘇五岳を望むアスペクタで開催された第1回のカントリーゴールド=1989年9月23日

9月24日付の熊日朝刊はその様子をこう報じています。

ステージでは、チャーリーさんが「素晴らしいミュージシャンを迎えたコンサートで夢みたいだ」とあいさつ。このあと、プライド・オブ・アメリカが軽快な音楽に乗って、ダンスを繰り広げた。ワゴニアズ、ワンダ・ジャクソン、ハンク・トンプソン、ビル・モンロー、ロジャー・ミラーらが軽快なテンポと素朴なメロディーを聞かせ、“生のアメリカ”がいっぱいに詰まったステージを披露した。

会場には県内外からファンや在日アメリカ人など約2万人が詰め掛けた。客席の周りにはカウボーイハットやウエスタンブーツなどカントリーミュージックには欠かせない品物が出店に並び、親子連れでにぎわった。

1989年9月24日付熊本日日新聞朝刊より

初回のカントリーゴールドの盛況ぶりを伝える1989年9月24日付掲載の記事

第1回のカントリーゴールドの会場の様子。ウエスタンスタイルのファンが詰め掛け、体全体で音楽を楽しんだ=1989年9月23日

皇族がカントリーファッションで登場

チャーリーさんが印象に残っているカントリーゴールドの一つが、1998年10月18日に開催された10回目です。この時は台風の接近で当日まで中止も懸念されましたが、なんとか台風がそれ、予定通り開催にこぎつけました。

「今年も晴れたぜ」の見出しで、10回目のカントリーゴールドの様子を報じた1998年10月19日付掲載の記事

記事によると、この日は、カントリーファッションの故・三笠宮寛仁さまもご来場。中学時代、ご自身がウエスタンバンドを組んでいた逸話を披露され、「次の二十年に向け、カントリーゴールドを応援してください」と観客へ呼び掛けられました。

チャーリーさんが、2004年1月30日付掲載の「わたしを語る」で、寛仁さまら皇族にカントリーファンが多いことについて語っています。

チャーリー永谷さんと皇族や故福島譲二知事との交流について書かれた2004年1月30日付掲載の記事。写真には、ウエスタンスタイルでカントリーゴールドに参加した三笠宮寛仁さま、福島知事の姿も

初の雨天開催 米テロ犠牲者に黙とうも

カントリーゴールドの日は、初回から晴天が続き、チャーリーさんの自慢でもありました。初の雨天開催となったのが13回目の2001年10月21日でした。この年の9月11日に米中枢同時テロがあり、影響を心配する声もありましたが、予定通り米国から五組のアーティストが出演しました。開幕に先立ち、チャーリー永谷さんは、「先月、米国で大きな悲しみがあった。12年間、雨のないカントリーゴールドで奇跡とも言われた。しかしこの雨。やはりたくさんの方々が涙を流されているのだと思う」とあいさつ。全員で黙とうし、テロ犠牲者のめい福を祈りました。

雨の中で行われたカントリーゴールドで演奏するチャーリー永谷さん(右)ら=2001年10月21日

アスペクタ存続の危機も乗り越え

チャーリーさんらが、カントリーゴールドの「最大の危機」と振り返るのが2003年。アスペクタ廃止問題が浮上したのです。国の特殊法人改革で「グリーンピア南阿蘇」の閉鎖方針が決定。グリーンピアを所有する年金資金運用基金からアスペクタの土地を無償で借りていた県は「更地返還が原則」とアスペクタ解体も含む厳しい見通しを示していました。

その渦中の10月19日に開催された第15回カントリーゴールドは、アスペクタとカントリーゴールドの存続を願う主催者とファンの強い思いが前面に出ました。

同20日付掲載の記事は、フィナーレの様子をこう報じています。

夕焼けに輝いた阿蘇の山々が暗闇に沈んだ午後六時半過ぎ。チャーリーさんやアメリカの5グループのメンバー全員がライトアップしたステージにそろった。一気に冷え込む空気を吹き飛ばすように、会場が沸く。大勢のファンは総立ちで「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン(輪が壊れませんように)」を大合唱。再会を祈るように花火が上がった。

「サンキュー、ありがとう! 来年は十六回目。〝約束の日〟にここで会いましょう。応援してください!」。チャーリーさんの必死の願いが夜空にこだました。

2003年10月20日付熊本日日新聞朝刊より

「〝約束の日〟来年も」「『宝物の残せ』ファン惜しむ声」の見出しで、アスペクタ存続を願うチャーリー永谷さんやファンの思いを報じた2003年10月20日付掲載の記事

チャーリーさんらは、アスペクタ存続を求める4万人を超す署名を集めて熊本県に提出しました。久木野村がグリーピアの建物と敷地を年金資金運用基金から購入したこともあり、県は村からの無償貸与によるアスペクタの存続にかじを切り、カントリーゴールドも歴史を刻み続けます。

本場から大物アーティスト続々

カントリーゴールドが多くのファンを引き付ける大きな理由が、カントリーの本場・米国から多くの一流アーティストが来日し、生の演奏を楽しめることでした。1989年の初回にアコースティックの「ブルーグラス」というジャンルの「大御所」ビル・モンローが出演。その後も、ロンダ・ビンセント(95年、第7回)、ブラッド・ペイズリー(2003年、第15回)など、米国でもトップレベルのアーティストが出演しています。

カントリーゴールドで熱のこもった演奏を披露するブラッド・ペイズリー(右)=2013年10月19日

チャーリーさんらは、来日した米国のアーティストたちに日本文化に触れてもらおうと、熊本城や水前寺公園を案内したり、和食を食べてもらったりしてきました。

日米交流に貢献、米大使から感謝状も

こうしてカントリーゴールドは、日本と米国の草の根交流を象徴するイベントとなりました。

チャーリーさんはカントリー音楽を広めた功績で、これまで33州から名誉州民の称号を受けたほか、1999年には、当時のクリントン米大統領からホワイトハウスで開かれた当時の小渕首相の歓迎の晩さん会にも招かれました。

2010年10月17日に開催された第22回カントリーゴールドには、当時のルース駐日米大使が来場。音楽を通じて長年、日米交流に貢献したとして、チャーリーさんに感謝状を贈りました。

チャーリー永谷さんに感謝状を贈るルース駐日大使=2010年10月17日

熊本地震からの復興を応援

2016年4月の熊本地震では、阿蘇は幹線道路が不通となるなど被災し、チャーリーさんはその年のカントリーゴールドの中止も考えました。しかし全国のファンからの要望もあり、「こんな時だからこそ、阿蘇の復興を応援しよう」と開催を決意。当日は国内外から多くのファンが集まり、思い思いのステージを楽しみました。主催者は全国のファンから寄せられた義援金を南阿蘇村に贈りました。

熊本地震から半年後に開かれた第28回カントリーゴールドで、チャーリー永谷さんらの演奏に合わせてカントリーダンスを楽しむ観客ら=2016年10月16日

2019年10月20日、いよいよカントリーゴールドが最終回を迎えます。

これまでフィナーレでは、チャーリーさんが「また来年、『約束の日』に会いましょう!」と呼び掛けて締めくくるのが恒例でした。30年の歴史に幕を下ろす今回、チャーリーさんは、慣れ親しんだアスペクタで大勢のファンに、どのような思いを語るのでしょうか。

※「カントリーゴールド ファイナルアンコール」は10月20日9時開場、正午開演です。問い合わせは、総合インフォメーションTEL096-359-2735へ。

CATEGORIES
TAGS