令和に残るレトロな長屋 熊本市河原町周辺の繊維問屋街をさるく

令和に残るレトロな長屋 熊本市河原町周辺の繊維問屋街をさるく

ぶらり新町・古町

熊本市の新町・古町をさるく。町屋があり、歴史的な橋がある。履物店をのぞき、写真館を見てはいにしえの町並みを想像する。横浜からの単身赴任者には、物珍しいことばかり。きょうもぶらぶらと、そぞろ歩きを始めた。

かつては繊維関連の店が並んだ唐人町通り

電停河原町から白川に向かってさるくと、コンクリートでできた昭和の繊維問屋街(熊本市中央区河原町)が令和の時代に残っていた。2階建て長屋の壁や天井は色あせたが、往時のにぎわいをしのばせる。最近では、レトロな雰囲気に憧れる人たちがおしゃれなお店を出し、独特な空間をつくり出している。

唐人町通り

現在の唐人町通り。かつては繊維関連のお店が多かった

近くの唐人町通りで明治30年代から糸を商う「森尾糸店」の3代目、森尾秀之さん(78)に一帯を案内してもらった。

「うちの周りは全部商店で、このへんも繊維関係が多かった」と森尾さん。上鍛治屋町では今でも林立するマンションのかげに、「ネクタイ」「綿」といった看板を目にする。

森尾糸店は、昭和40年代までは商売が盛んで、九州全域から糸を扱う小売業者が集まった。熊本市内にも多くの小売業者がいて、たばこ店の多くも糸を扱っていた。森尾さんは「みなさん、手作りで家族の服を作ったり、ほつれを直したりしていたからですよ」と時代を語る。

唐人町通り

かつては商店が立ち並んでいた唐人町通り。写真は昭和32年撮影

今では寂しさ感じる長屋 60年前の大火跡に建設

森尾糸店から2、3分歩いて河原町電停を過ぎる。「この先は全部、繊維問屋街。とても小さな店が軒を連ねていました」。今は人通りが少なく、古ぼけてしまった長屋は寂しそうだ。

道路の両脇に続く長屋

この長屋ができたのは昭和34年。前年の大火で焼失した長六国際繊維市場跡に建てられた。「火事の時には、互いに手助けして商品を運び出した」。森尾さんは60年前の大火を昨日のことのように話してくれた。

河原町一帯

昭和33年の長六国際繊維市場の大火

長屋の隣の建物で婦人服などを扱う丸和一商店に飛び込みで入ってみた。高田龍夫さん(89)は、長六国際繊維市場でも繊維問屋を営んでいた。「そのころの市場は問屋街と言ってもバラックのようなものだった。熊本駅前のバラックから追い出された人たちが多く、その大半は大陸からの引き揚げ者だった。自分の店も小さく、店舗の2階に家族で住んでいた。人吉・天草から行商がよくやってきた。今の長屋が建ったときに、うちもその隣に店を建てた」と語る。

丸和一商店の高田さん親子

繊維街で店舗を営む丸和一商店の高田さん親子

毎月のように熊本発の列車「阿蘇」に乗り、岐阜駅前の問屋街まで買い出しに行った。「蒸気機関車だから、岐阜に着く頃は、顔が真っ黒だった。中国産の衣料品が入ってきて商売は厳しくなってきたが、それでも昭和50年代まではまあまあ良かった」と思い出す。

息子の裕己さん(58)は「かつては子どもたちがたくさん遊んでいて、街はにぎやかだった」と懐かしむ。校区である慶徳小に通う子どもの多くが長屋か問屋街近くに住んでいたという。

若者がカフェバーやベーカリーなど出店 物珍しさに散策する人も

現在の問屋長屋を歩く

現在の問屋長屋を歩く。狭い路地。両手で左右の店が触れそうな幅だ。

ここで肩がぶつかるほどの人が行き交い、威勢のいい掛け声が飛んだのだろうが、いまはほとんどの店はシャッターが下りたまま。

2016年には再び火事が起きて、4棟が全焼してしまった。一方で、火災前から店跡に新しい店を構える若者らがいて、被災後もカフェバーやベーカリー、小物店がちらほら出店している。そんなミスマッチな風景の物珍しさもあってか、県内外から問屋街を散策する人の姿も少なくないという。

熊本市中央区河原町の地図

※情報は2020年1月20日時点です。

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