90歳でも「プロの歌声」 元流し歌手の「長ちゃん」 戦後、熊本ネオン街のエンターテイナー

90歳でも「プロの歌声」 元流し歌手の「長ちゃん」 戦後、熊本ネオン街のエンターテイナー

ぶらり新町・古町

熊本市の新町・古町をさるく。町屋があり、歴史的な橋がある。履物店をのぞき、写真館を見てはいにしえの町並みを想像する。横浜からの単身赴任者には、物珍しいことばかり。きょうもぶらぶらと、そぞろ歩きを始めた。

敗戦後、歌が人々に勇気与えた

自宅でギターを持つ元流し歌手の長屋成富さん

熊本の飲み屋街で長年、流しの歌手をなりわいに生きてきた。大事なことは、笑って楽しく歌うこと。昭和30年代に熊本にたくさんいた流し。「長ちゃん」と慕われ、ネオン街で声を披露してきた長屋成富さん(90)が「わが人生に悔いなし」と語ってくれた。

長屋さんがギターをひっさげて流しを始めたのは、日本が敗戦の余韻から抜け出そうとしていた昭和26年ごろだった。今の熊本市の現在の銀座通り近くに屋台が20~30軒ほどできた。並木路子の「リンゴの唄」がラジオから聞こえていた。

 ♪赤いリンゴに唇寄せて~

長屋さんもお客さんのリクエストで何度も歌った。歌が人々に勇気を与えた。春日八郎の「別れの一本杉」、田端義夫の「かえり船」などレパートリーは百数十曲あった。

長屋さん1人のときより、3人編成が長かった。バンド名は「スリーボーイズ」。長屋さんはギターを担当。ほかの2人はアルトサックスとアコーディオン。

3人編成のバンド「スリーボーイズ」でショーにも出演した。写真右が長屋さん(長屋さん提供)

お客さんからのおひねりは長屋さんが持つギターのサウンドホール(ギターの真ん中にある丸い穴)に入れられた。時代によって3曲100円だったり、1000円だったり。深夜まで街を回った。仕事を終え、ギターをひっくり返すと100円札、500円札、1000円札が落ちてきて、稼ぎがたくさんあるとメンバーと喜び合った。1日で数万円稼いだこともある。

ばってん荒川さんと県内の刑務所や病院を慰問

長男の淳一さんは(60)は、父がバイクにギターを背負って商売に向かい、帰りにプラモデルを買ってきてくれたことを覚えている。「平日の普通の時間に一緒に夕食を取る一家だんらんはなかったけどね。偉かったね、とは今さら言いきらん(言えない)」と照れながら語った。

長屋さんは「まあ、もうかった。全部使っちゃったけどね」と満面の笑みを見せてくれた。「何より流しはもてたよ。音楽をできる人が少なかったからね」

流しとして街に出る時間は夜7時ごろなので、それまでは、百貨店の屋上で歌謡ショーのバックバンドなどをこなした。今で言うコミックバンドのようなもので、コントも演じた。ばってん荒川さんと県内をくまなく回り、刑務所や病院を慰問したのも思い出だ。

熊本日日新聞が夕刊を発行した時は記念イベントで「熊日の歌」を歌った。

 ♪火の山の 炎のごとく 燃ゆるもの~

いまでもすらすらと歌詞が出てくる。

「敗戦後の数年は、日本人には楽しみが少なかったからね」と振り返る。

大病患うもリハビリで回復 夜な夜な酒場に

天草で生まれ、今の熊本市北区で育った。戦中は母親と木葉(熊本県玉東町)あたりまで闇米を買いに行った。熊本工高時代には長崎の造船所で働かされた。頭上を米軍機が飛び交っていた。熊本に戻ってからも空襲を経験した。

終戦を迎え、焼け野原でどうやって生きるかを考えた。夏は氷を、冬はお菓子を売って生きた。自宅が空襲を免れ、知人にもらったギターが残っていた。ラジオを聞いて我流で覚えた。

昭和49年には、スナックを開いた。その後流しは引退。お店が引けた後に熊本市西区横手の自宅に帰る途中に、新町のスナックでよく一服した。その習慣からか、今でも新町のスナックに時々通う。

2018年に硬膜下血腫となり、一時はおしゃべりが困難だった。今ではリハビリの効果もあり、夜な夜な長男の経営する酒場に繰り出す。

この日は冠二郎の「酒場」、北島三郎の「川」を気持ちよさそうに歌った。声が柔らかい。「大病する前は、もっとうまかったよ」と言うが、声の強弱の付け方や決め文句のめりはりはさすがプロだ。笑顔で歌うので、見ている方も楽しくなる。

新市街の酒場でマイクを持つ長屋成富さん

横には店を手伝う妻のカツ子さん(79)が座った。「楽しい人です。もてない男といるより、もてる男といる方がいいです」と持論を語ってくれた。

カツ子さんは雪深い山形県新庄市出身。高校生の時に静岡県の紡績工場に集団就職した。北九州での生活を経て、縁あって熊本に。「ほかの流しから随分と声かけられたけど、この人で良かったかなと思ってます。優しい人です」と笑った。

「笑顔で歌うことが大事」 長屋さんの人生に乾杯

新町でも一杯、楽しそうだ

いつの間にか街に流しの姿はなくなった。カラオケスナックに繰り出す客も減った。ネオン街では「あんな人は、この街からもう出ん。恋する。愛する。歌う。情がある」との評判を聞いた。

ある夜、長屋さんから新町のスナック「カラオケドリーム夢」に来ないかと呼び出された。「人生で大事なことは笑顔で歌うこと」。口角を上げて、歌って、話す長屋さんの人生に乾杯した。

※情報は2020年3月26日時点です。

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