牛をもかつぐ? 怪力伝説残る「横手の五郎」 地域に愛された江戸時代の英雄

牛をもかつぐ? 怪力伝説残る「横手の五郎」 地域に愛された江戸時代の英雄

ぶらり新町・古町

熊本市の新町・古町をぶらぶらと歩く。江戸時代に怪力で知られ、75人力ともいわれた横手の五郎。1585年に旧横手村(現在の熊本市中央区横手)で生まれ育ち、熊本城の築城にも一役買った。地域の英雄にまつわる寺や神社や記念碑がたくさんあると聞いて、歩きだした。

「力持ちになりたい」 五郎が毎日お参りした吉祥寺

吉祥寺

五郎が子どもの頃、力持ちになりたいと毎日お参りしたと伝えられる吉祥寺=熊本市中央区

新町の交差点から高麗門方面に歩き、新幹線の高架をくぐった。右も左もお寺だ。旧井芹川を渡り、妙永寺、本覚寺を過ぎると安国寺だ。

安国寺の境内にあるという吉祥寺に着いた。五郎は子どもの頃、力持ちになりたいと吉祥寺に毎日お参りしたと伝えられている。

そのかいがあってか、怪力伝説を数々残している。加藤清正の行列が、牛が道をふさいでしまって立ち往生した時のこと。五郎が通りかかってひょいと牛をかついで行列を通したという。熊本城の宇土櫓前にある巨石「首掛石」は、五郎が花岡山石切場から首に掛けて運んだと伝えられている。

境内には五郎が産湯につかった井戸の跡があった。井戸は安全確保のためか、石で封じられていた。

「巨漢」の迫力伝える五郎大明神立像

る阿蘇横手神社

五郎大明神立像が祭られている阿蘇横手神社=熊本市中央区

北岡自然公園を左にみながら、五郎坂を上に。高台に上ると五郎の屋敷跡があった。廃材が置かれていて、屋敷跡という標識がなければ、まったく分からないだろう。

高台を下ると、マキとクスが構える横手阿蘇神社があった。境内にある毘沙門(びしゃもん)堂は、かつて別の場所にあり火事に遭い、移設・再建されたもので、その際焼け残ったという五郎大明神立像が今も堂内に祭られている。2メートルほどもあり、迫力がある。地域の人々が巨漢だったという五郎をしのんだことがうかがえる。同行してくれた一新まちづくりの会の毛利秀士さんは「郷土の偉人が忘れ去られようとしているのは残念です。後世に伝えたい」と語った。

五郎大明神立像

横手阿蘇神社内の毘沙門堂に祭られている五郎大明神立像

そばには五郎の由来を記した石碑があった。五郎の母親が天草出身だったことにちなんで、白い天草砥石が用いられたという碑だ。

「横手の五郎」の由来を記した石碑

五郎の産湯と言われる「産女水」 昔は飲み水に

再び旧井芹川沿いを歩く。「横手の五郎の取材か。自分も一緒に行くよ」。道すがら、近所に住む本田元治さんが声を掛けてくれ、飛び入り参加。こちらも五郎の産湯に使われたとされる湧き水「産女水(うぶめのみず)」に案内してくれるという。

旧小島街道を花岡山に向かうと、メジロの飛ぶ姿が。小道を左に入ると、ちょっとした崖の角が削られており、そこに「産女水」があった。中をのぞく。周りは薄暗いが、水は透き通っている。近くの住民は「ずっと昔は飲み水に使っていたそうですよ」と語ってくれた。本田さんは「うちのばあさんはこの辺りの湧き水を大事にしていた。特にお茶を飲む時は特別だと言って、湧き水をくんでいた」と思い出した。

五郎の産湯に使われたとされる「産女湯」。毛利さん(右)と本田さんが案内してくれた

水が合ったのか、大きく育って、地元に愛された怪力。毘沙門堂の五郎大明神を地元の人々は親しみを込めて「五郎さん」と呼ぶ。命日の9月13日には祭礼を続けている。

「横手の五郎」にまつわるスポット

※情報は2020年6月19日時点です。

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