気になる看板…「商工クラブ」って何? 開業は明治時代 地震で被災し、改築中

気になる看板…「商工クラブ」って何? 開業は明治時代 地震で被災し、改築中

ぶらり新町・古町

熊本市の新町・古町をぶらぶらと歩く。「五福小学校(熊本市中央区)の裏に『商工クラブ』という謎の看板があって、気になっていた。取材してみてよ」。古町の知人からこんなお話をいただいて、人から人をたどっていった。

老舗すき焼き店女将の案内で現地へ

「料理谷邸(商工クラブ)改築工事」との看板。これだけでは、何のことか分からないだろう=熊本市中央区西阿弥陀寺町

そうこうすると、商工クラブに関係があるという老舗の「すき焼 加茂川」(熊本市中央区上通町)の女将(おかみ)、山下みきさん(55)に会えた。

「旧姓は『料理谷(りょうりや)みき』です。実家が『商工クラブ』で、私は長女。今は建て直し中ですけど、現場に行ってみますか」。ありがたいご提案をいただいて、五福小の裏にある西阿弥陀寺町に向かった。

持ち主は、料理屋の「料理谷さん」

木造2階建ての料亭とも民宿とも見受けられる建築物は、シートに覆われて、改築中だった。「料理谷邸(商工クラブ)改築工事」と掲示がある。うーん? 確かに、これを読めば、何のことやら分からないだろう。

商工クラブ

現在は改築中

現地には、山下さんと父の料理谷利幸さん(77)が待っていてくれた。珍しい名字の料理谷さんの家業は料理屋だ。

「2021年春にリニューアルオープンします」と山下さん。「中を見てみますか?」と誘われて、建物の中に入った。母屋だけで延べ床面積は400平方メートル。18も部屋があるそうだ。

かつては数多くの結婚式 三々九度の光景浮かぶ

正面から入ると突き当りたりが元の座敷で、お客さんがちょっと休むところだったという。階段を上がる。すぐに花嫁が身支度を整える小部屋があった。白無垢(むく)の美しい女性がここで将来を夢見たと思うとぐっときた。

商工クラブ

花嫁の待機場所。天井は中央に向かって高くなる、船底天井だった

♪高砂や この浦舟に帆を上げて~

結婚式が数多く催された。緊張した面持ちで新郎新婦が三々九度の杯を交わした光景が利幸さんと妻の通子さん(77)の目に焼き付いている。「高砂」を歌う客がいない時、利幸さんは蓄音機で高砂を流し、場をつないだそうだ。

結婚式によく使われた。三々九度の様子。新郎新婦が杯を交わし、両家の安泰を願った。昭和40年撮影(提供写真)

料理谷さん夫婦。元宴会場だったという部屋には、びょうぶがたくさんあった

「仲良く集まる場に」と命名 宴会も頻繁に

たくさんの客室があり、そこかしこに、掛け軸や屏風、お椀を入れた箱がある。外に目をやると、中庭が見えて心がよりなごむ。

建物は明治からのもの。先祖は細川家が肥後藩主として命じられた際に、料理人として小倉からお供してきたという。代々、細川家で料理人を務めたそうだ。

商工クラブ

昔の写真。「民宿 商工クラブ」という看板がある。1980年代か(提供写真)

明治になって、この地に料理屋を開業。商人や物作りの町人たちが仲良く集ってほしいという願いから「商工クラブ」と命名した。熊本商工会議所が近くにあったのもご縁のようだ。

戦前戦中は、軍隊が食材を持参して宴会や壮行会が開かれた。戦後から高度成長期にかけては、繊維業者や学校の先生の宴会などが頻繁に開かれた。芸者も出入りして華やかだった。

2021年春、レストランなどオープンへ

商工クラブ

屋根には120年前という瓦があった。料理谷さんの長女・山下みきさんが案内してくれた

その後は、企業の寮や民宿を営んだ。熊本地震の影響で、屋根などが壊れて休業状態になった。

建物の真ん中辺りには地下室があり、利幸さんは戦時中に防空壕(ごう)として使った。山下みきさんは子どものころにお行儀が悪い時に、おしおきとして閉じ込められた。

建物の中は地下室があり、ひんやりしていた

熊本地震で壊れた建物をどうするか悩んだが、今年建て替えを開始。熊本県が歴史的な建築物として支援してくれた。来春には三州瓦を使うなど凝った造りになって、レストランなどが入居する新たなにぎわいの場となる予定だ。

「商工クラブ」の地図

※情報は2020年8月28日時点です。

CATEGORIES
TAGS