熊本地震から4年経て再建 歴史的町屋「清永本店」

熊本地震から4年経て再建 歴史的町屋「清永本店」

ぶらり新町・古町

旧薩摩街道(唐人町通り)にある「清永本店」=熊本市中央区西唐人町

熊本市の新町・古町をぶらぶらと歩く。城下町・熊本の歴史的な町屋がよみがえった。清永本店(熊本市中央区西唐人町)。西南戦争の後の1878年に建てられた木造2階建て商家は熊本地震で全壊。地震から4年を経て、建て直された。

はりに太いセンダンや杉 古町でも威厳ある母屋

「清永本店」8代目の清永幸男さんと妻の佳子さん

旧薩摩街道沿いの明八橋近くに清永本店はある。母屋は古町の中でも威厳が感じられ、同時に白壁と銀黒の屋根瓦と木のぬくもりが落ち着きを与えてくれる。1階が8部屋、2階が5部屋。延べ床面積が330平方メートルもある。

木戸を開けて店内に入る。「ようこそ」と8代目の清永幸男さん(80)が丁寧に出迎えてくれた。太いセンダンや杉がはりに使われている。がっしりした造りだ。帳面を付ける木台が昔の商店をほうふつさせる。「五百四十七番」と電話番号を記した木板やマッチを扱っていたという看板もある。

電話が熊本市の中でもかなり早い時期にひかれた。明治36年のことだという

清永さんは「建物の中は地震であまり壊れなかったのです。ただ、屋根が崩れ、雨漏りがひどかった。ようやく元に戻りました」と安心したように語った。

「農家が荷車で売りに来た」 以前は日用品や乾物扱う「荒物屋」

店頭にはたんすや重箱、お皿などの置物。和を感じる

清永さんが昔の書類を見せてくれた。「ほとんどの書類は熊本大学が現在調査中です」と話すが、引き出しから次から次へと「古文書」が出てくる。例えば、目の前の文書は八代の油屋を相手に、20反の布を二つ商いしたと書かれている。年が記されていないため、学者たちが収入印紙から年代を探るなど地道な研究をしている。

昔の書類がたくさん残っている

清永本店はこの地域で有名な名家だ。日用品や乾物を扱う「荒物屋」を営んでいた。屋号は「板屋」。熊本県内の農家が手作りした竹ほうき、縄、むしろ、餅箱、くず箱などの生活に密着した商品を扱っていた。

清永さんは「農家は荷車で日用品を売りに来た」と振り返る。農家は農閑期の現金収入を得た。農村と都市をつなぐ店だった。

昭和40年ころからプラスチック商品が増え、その後、郊外に大きなホームセンターができ始め、経営環境が激変した。清永さんは「物を扱う個人商店は、あいさつを含めた人と人との交流でやってきたが、今ではもう難しい」と残念そう。

「地域の文化財守ろう」との運動に助けられ

母屋と仏間の間にある庭園

熊本地震では2度の大きな揺れで外壁や屋根が崩れた。建て直すつもりはなかったが、「地域を代表する文化財として守りたい」という運動に助けられた。

母屋の裏におじゃました。座敷があり、仏間がある。箱庭では純白や薄い桃色のつつじが咲いていた。その奥は蔵が二つあった。母屋の屋根裏に上ってみると驚いた。おけ、かごなどが床一面に置かれていた。「蔵の修復でいったん、蔵にあったものを運び出しました」と清永さん。

屋根裏には蔵から運び出したものが床一面に。昔の風俗習慣に興味がある人には、まさに宝の山

この日たまたま建物の歴史的価値を調べていた建築家の入江雅昭和さんは屋根裏を見渡し、「はりに使われているセンダンが立派ですね。杉の大黒柱もしっかりしています」と評価した。

普通の町屋は正面の出入り口が狭くて奥に長い縦長のつくりだが、この母屋は、ほぼ正方形。入江さんは「西南戦争の直後にしっかりした町屋を短期間で作っている。地方の名士だったことを物語っています」と教えてくれた。

清永本店

住所 熊本市中央区西唐人町34

アクセス 熊本市電「呉服町」電停より徒歩4分

※情報は2020年11月3日時点です。

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