大河「いだてん」主人公の金栗四三伝説 日本人初の五輪、マラソン驚きのタイムは?

金栗四三

熊本県で開催された第15回国体秋季大会開会式で最終炬火ランナーを務める当時69歳の金栗四三=1960年10月23日、熊本市の水前寺陸上競技場

2019年1月6日に放送開始するNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺[ばなし]」の主人公の一人が金栗四三です。

金栗は熊本県出身。明治~昭和期に活躍し、「日本マラソンの父」と称されています。

でも、これまでの大河ドラマに登場した有名な幕末の志士や戦国武将と違って、「金栗四三の功績って何?」と思う人は少なくないと思います。

そこで、「クロスくまもと」では、2017年8月~2018年4月に熊本日日新聞朝刊で連載した「走者・金栗四三~25万キロの軌跡」の記事を基に、偉大で、ドラマチックで、人間味あふれるアスリート金栗の「伝説」を紹介します。

ストックホルム五輪

金栗四三(1891~1983)は日本人で初めて五輪に出場しました。1912(明治45)年のストックホルム五輪です。

そこで出場したマラソン競技でドラマチックな記録を、金栗は持っています。

なんと「54年8カ月6日5時間32分20秒3」。

ゴールするまでにかかった時間です。

もちろん公式記録ではありませんが、ひと昔前の人の一生にも相当する長いタイムは、日本の陸上競技の発展に尽くした、いちずな人生を象徴しています。

では、54年以上かかってゴールとはどういうことなのでしょうか。金栗の生い立ちから振り返ってみます。

若き金栗四三の銅像

五輪選手当時をモデルに制作された若き金栗四三の銅像。2018年11月11日、新玉名駅前にお目見えした=玉名市

猛暑のレースで意識を喪失

金栗は、玉名で生まれ育ちました。教師を目指して東京高等師範学校(現筑波大)に進み、マラソンランナーの才能が開花します。

20歳の時、ストックホルム五輪の国内予選で出した2時間32分45秒(当時は約40・2キロ)を皮切りに、非公認ながら当時の世界記録を上回るタイムを何度も出しています。

しかし、ストックホルム大会は猛暑のレースとなり、中盤で意識を喪失。日本五輪史の最初の1ページに「途中棄権」の文字を刻む結果となりました。

再起を期した4年後のベルリン大会は第1次世界大戦のため中止。8年後のアントワープは16位、33歳で臨んだ最後のパリは再び途中棄権に終わりました。

マラソンの情熱失わず

ひのき舞台で挫折を3度味わった悲運のランナー金栗。だが、繰り返す失意の中でも、マラソンへの情熱を失うことはありませんでした。

やがて斬新な練習法や選手育成のための競技会をいくつも生み出し、黎明[れいめい]期にあった日本の陸上競技を育て上げていきます。

現地で有名「消えた日本人」

時は移り1967(昭和42)年3月。郷里玉名で後進の育成などに当たっていた四三は、招待されて再びストックホルムを訪れました。五輪開催55周年を記念する国際親善イベント。マラソンの途中で力尽き、競技場に戻らなかったことから「消えた日本人」として有名でした。

大会当時と同じ競技場に立ち、コート姿のままトラックを数十メートル走ってゴール。タイムは「54年8カ月6日5時間32分20秒3」。半世紀を超えたドラマの終幕を、現地の新聞もユーモアを交えて報じました。

当時75歳。帰国した四三は笑顔で語りました。「私はランニング姿で本格的に走るつもりだったが、向こうの人が心配して長くは走らせてくれなかった」。ランナーとしての生き様を貫いた人生でした。(2017年8月20日付熊本日日新聞朝刊掲載の「走者・金栗四三 25万キロの軌跡」①を加筆、再構成しました)

金栗四三の経歴

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