町と人をつなぐ橋 明治八年にできた「明八橋」を歩く
ぶらり新町・古町
熊本市の城下町、新町と古町をつないだ明八橋に立つと、北風が身に染みた。木枯らしはハゼノキの葉を揺らし、勢いを付けて薩摩街道に流れ込んだ。朔風は唐人町に住む人々の喜びや悲しみをまぜこぜにして、南に向かった。

明八橋
「橋は、生活そのものだった。馬車や木炭バスが通った。橋の周りは、商店や市場があり、華やかだった」と、近所に住む松田清見さんは明八橋で語ってくれた。

明治20年ごろ 坪井川・明八橋一帯
明八橋のたもとにある碑には、「年不詳 橋名『新三丁目橋』板橋として誕生」「明治八年 現在の石橋『眼鏡橋』に架け替え、同時に『明八橋』と改称」とある。明治八年にできたので「明八橋」という。
長さは21・4メートル、幅7・8メートル。石工の橋本勘五郎が手がけた。

船着き場から見上げた明八橋
橋の下にある船着き場に降りてみた。橋の美しい曲線がはっきり見える。船着き場から古町側の商店には、荷入れする出入り口がちらほら見られた。
橋を通る馬車から昆布などをこっそりくすねたり、馬車の荷台に乗ったりと、子どもたちは元気が良かった。おおらかな時代が遊びの天才たちをはぐくんだ。
上流には新呉服橋、明十橋を眺めることができる。下流に行くと小沢橋と、一駄橋につながる。

一駄橋でたたずむ松田さん
松田さんは3歳の頃、三輪車ごと一駄橋から落ちたことがある。お手伝いさんが目を離したときに落下して流された。
近くの木炭店の人が助けてくれた。大人になってから、その話を親から聞いた時には、もう木炭店はなかった。
松田さんは橋の周りを歩くと、いまでも近所の人たちとあいさつがひっきりなしだ。町と川と人を橋がつないでいた。