
熊本で最後の芸者「あや子姐さん」 85歳、芸は健在
ぶらり新町・古町
熊本でただ一人となっていた芸者のあや子姐さんがお座敷に戻った。85歳だが、その芸は健在。九州随一の華やかさを誇った熊本の花柳界を守る。
「酒は飲め飲め飲むならば」
啓蟄の一夜。熊本城にほど近い日本料理「おく村」(熊本市新町)で、あや子姐さんの黒田節が始まった。腰が据わっている。目はしっかりと前を見る。扇子の先まで神経を研ぎ澄ませる。
「日の本一のこの槍を」
あや子姐さんは、昭和8(1933)年、山口県下関生まれ。幼少期を現在の韓国・釜山で過ごし、戦後は母親の実家である、米どころの熊本県七城町(現在の菊池市)に戻った。
踊りが好きで、芸の道に。当時の熊本の下町は料亭文化が花開いていた。役人や政治家、卸問屋、銀行員といった経済人、新聞社が幅を利かせ、三味線の音がやまなかった。
あや子姐さんが芸者になった昭和27年頃、熊本には100人ほどの芸者がいたという。券番も二つあった。あや子姐さんは売れっ子として有名で「ずっとトップを張ってきた」。

「おるがぎんざ」というお座敷遊びも見せてくれた。肥後人が東京に出てきて、びっくりする話だ。ステッキ片手にシルクハットをかぶって夕刻の銀座や新宿を「さるく」紳士。拾った「小銭」を街灯で見てみると、ビールの栓だったといった小話を、しゃれを効かせて表現した。鼻の下のちょびひげは「吉田毒消丸」を包む紺紙を使っている
あや子姐さんを舞台に立たせたいという料亭は、別のお座敷に出ている中途に「もらいをかける」こともよくあったという。
芸を大事にする。お客さんを気遣う。楽しんでいただく。あや子姐さんの貫く道だ。
あや子姐さんの黒田節の後は、お客さんにお酒を飲んでもらう。
「飲みとるほどに飲むならば」
この節の「ば」で、杯を飲み干すのが熊本流だという。
「いいたいことを言う性格でやってきた」とご本人。お座敷文化をしっかり伝えるため、ちゃんと芸を見ない客にはしかることもある。
2018年秋に一時体調を崩したが、19年春には復帰。

三つの信条で生きてきた。①きょうだい仲良く親に孝行 ②出会った人は皆師匠 ③死ぬまで青春
「芸に終わりはない」と今後もその芸をお披露目したいと思っている。
日本料理「おく村」 店舗情報
住所 | 熊本市中央区新町1-1-8 |
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アクセス | 熊本市電 「蔚山町」電停より300メートル(徒歩4分) |
営業時間 | 昼:11時~15時(ラストオーダー 14時) 夜:17時~22時(ラストオーダー 21時) |
定休日 | 不定休 |
電話 | 096-352-8101 |
公式HP | https://www.e-okumura.net/ |
※文中の年齢、店舗情報は2019年4月29日時点です。