「パンダ焼き」の熊本市・健軍「ニュー若草」、2019年5月末で閉店へ 開発はパンダ誘致がきっかけ

「パンダ焼き」の熊本市・健軍「ニュー若草」、2019年5月末で閉店へ 開発はパンダ誘致がきっかけ

名物「パンダ焼き」を手にする社長の米岡穂積さんと店員の郷陽子さん

名物「パンダ焼き」を手にする社長の米岡穂積さん(右)と店員の郷陽子さん=2019年5月11日、熊本市東区

パンダをかたどった焼き菓子「パンダ焼き」で有名な健軍商店街(熊本市東区)の和菓子店「ニュー若草」が、2019年5月末で閉店します。長年愛されてきた菓子を買い求める人が連日店を訪れており、社長の米岡穂積さん(79)は「遠方から来てくれる人もいて、本当にありがたい」と感謝しています。

※2019年5月19日付熊本日日新聞朝刊掲載。文中の年齢は掲載日時点です。

パンダらしく中は白と黒の2種類のあんこ

ニュー若草のパンダ焼き

ニュー若草のパンダ焼き。中は白と黒の2種類のあんこが入る

製粉業を営んでいた米岡さんが、健軍商店街に菓子店を構えたのは50年前。丁寧に引いた粉を顧客に卸すうち、「自分でも作ってみよう」と思い立ったといいます。

近くの熊本市動植物園にパンダの誘致話が盛り上がっていた1990年、米岡さんはいち早く、パンダ焼きを考案。愛くるしい形にパンダを型抜きする特注の機械を使い、小麦粉の生地にあんを挟み、ふんわりと焼き上げました。

当初は、白あんと黒あんの菓子を別々で売っていましたが、「せっかくだからパンダらしく…」と一緒に入れてみたところ、人気が急上昇。

残念ながら、本物のパンダが動物園にやってくることはありませんでしたが、店だけではなく商店街の名物として定着しました。最盛期には1日400~500個が飛ぶように売れたといいます。

1989年 幻のパンダ「来熊計画」

パンダ焼き誕生の原点となった熊本市動植物園のパンダ誘致について調べてみました。

熊本日日新聞社のデータベースで過去の紙面を見てみると、1989年11月15日の熊日朝刊に「パンダ熊本へ」の大きな見出しがありました。

1989年11月15日付 熊本日日新聞朝刊

1989年11月15日付 熊本日日新聞朝刊

熊本市動植物園は同年、中国からキンシコウを3カ月間借り受けていました。そのお礼で訪中していた田尻靖幹市長(当時)が帰国記者会見で「上海動物園からジャイアントパンダを借りることで合意した」などと述べた、と伝えています。

貸し出しの時期や頭数は未定ながら、「来夏にも公開」とあるようにかなり現実味のある話だったと思われます。なぜ「幻」となったのでしょうか。

それから7年後の1996年6月26日付の熊日朝刊には「パンダ誘致 事実上断念」の文字がありました。

 熊本市は平成元年から続けていたパンダの誘致活動を事実上、断念した。高額の貸借料を中国側に支払うのは困難と判断したため。

1996年6月26日付 熊本日日新聞朝刊

熊本市は1990年、5800万円をかけて空調設備完備のパンダ舎を建設。「希少野生動物の保護に逆行する」と世界自然保護基金(WWF)が待ったをかけたましたが、その後、認められました。

環境は整ったものの、年間数億円という貸借料がネックとなり、最終的に誘致を断念したようです。

益城町の製菓工場での不定期営業も検討

動植物園にはいなくても、パンダは健軍商店街で長年、多くの人々に愛されていました。

パンダ焼きを売り始めた当時から勤め続けている郷陽子さん(67)は「社長は新商品開発が得意で、次々と新しいアイデアお菓子を生み出してきたけど、これはずっと変わらない看板商品」と笑顔を見せました。

白い生地(右)にはタピオカを練り込んである。いずれも白と黒の2色のあんが入っている

米岡さんは数年前に車の運転免許を返納。そのため益城町の自宅から店までの行き来が難しくなったこともあり閉店を決断しましたが、「店を閉めるのは今でも少し寂しい」とも話しています。

閉店を惜しむファンの声があまりにも多いため、自宅横の製菓工場での不定期営業も検討しているということです。

「ニュー若草」 店舗情報

住所 熊本市東区若葉1丁目13-8

アクセス 熊本市電「健軍町」電停から徒歩3分
健軍商店街ピアクレス内
営業時間 10時~17時(売り切れ次第終了)
定休日 不定休
電話 096-369-7775

※店舗情報は2019年5月21日時点です。

CATEGORIES
TAGS