熊本市新町・吉田松花堂の「諸毒消丸」 江戸時代から重宝される地域の伝統薬

熊本市新町・吉田松花堂の「諸毒消丸」 江戸時代から重宝される地域の伝統薬

ぶらり新町・古町

看板

明治の雰囲気を今に伝える。電車通りの看板は人目を引く=熊本市中央区新町

熊本市中央区新町の電車通りを長崎次郎書店から上熊本方向にぶらぶらすると、左手の大屋敷を囲む黒しっくいの塀にかかったずいぶん古い看板が目に入った。「肥後の諸毒消丸(しょどくけしがん)」。吉田松花堂がつくる伝統薬だ。

吉田松花堂の創業は文政年間。8代目当主の吉田秊代さん(73)によると、長崎でドイツ人医師シーボルトの教えを受けた初代・吉田順碩さんが熊本にたどり着き、この薬が誕生したと伝えられている。

牛黄(牛の胆のうにまれにある黄色の塊)や阿仙薬(アカネ科のガンビールの若枝を煮てから乾燥させた固形エキス)など、5種類の和漢生薬を調合。下痢や消化不良、息切れ時などに服用すると効果があるとされる。

諸毒消丸

「諸毒消丸」のパッケージは、昔のままだ

諸毒消丸が注目されたのは1850年代のこと。熊本で疫病がはやった際に重宝された。日清戦争、日露戦争当時もこの時の評判が残っていて、出征兵に持たせよう、あるいは持参しようと多くの人が買い求めたそうだ。特に日清戦争の時は大行列ができたという。

吉田さんの手元には、お客さんから「薬を心のよりどころにしています。わが家では『おばあちゃんの薬』と呼んでいます」「海外出張の際は、助かりました」といった連絡がたくさん届くという。なかには「(太平洋戦争中)戦地で泥もすすったけど、感染症にかからなかったのはこの薬のおかげ」と定期的に買い求める老人や、「ふぐであたったときに飲んで命拾いした」とお礼の電話をしてきた力士もいるという。

日本人女性として初めて医学博士号を取得したとされる宇良田唯(ただ、1873―1936)は、吉田松花堂に身を寄せた時代があった。天草市牛深町出身の唯は親が決めた結婚を断り、親戚筋にあたる吉田松花堂に来たとの説がある。ここから熊本薬学校(現在の熊本大学薬学部)に通い、熊本で漢方薬店を開く。

その後、医者の道を目指して上京し、ドイツの大学へ留学。ここで猛勉強の末、医学博士となり、中国の天津や牛深で医院を開業するなど波瀾(はらん)万丈の人生を送ったようだ。

写真や手紙

お店には、宇良田唯の写真や手紙が残っていた

西南戦争翌年の1878(明治11)年に建てられたという説もある吉田松花堂の建物は今も当時のまま。熊本地震で瓦が落ちて屋根を張り替えたが、黒しっくいの塀は往時を物語る。

原稿を書き終え、一杯飲みに出た。吉田さんに教えていただいた通り、飲んだ後に10錠を服用した。紺色の和紙に包まれた金色の粒。仁丹のように小粒で、漢方薬のにおいがした。翌朝は二日酔いではなかった。

吉田松花堂

住所 熊本市中央区新町4丁目1-48

アクセス 熊本市電「蔚山町」電停より徒歩3分
営業時間 9時~17時
定休日 日曜、祝日
電話 096-352-0341
公式HP http://syokado.web.fc2.com/index.html

※情報は2019年7月8日時点です。

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